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2022年10月19日の記者会見の読み方

大津由紀雄
慶應義塾大学名誉教授・関西大学客員教授

[1] はじめに


(この記者会見についてご存知の方は [2] から読み始めても支障ありません。)
2022年10月14日、中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)に関する要望書を東京都教育庁に提出しました。
https://app.box.com/s/xbf8l2oaloma4ddip2zhf6w33b4barg5

この要望書はつぎの5名が作成しました。
阿部公彦 (東京大学教授)
鳥飼玖美子 (立教大学名誉教授)
南風原朝和 (東京大学名誉教授)
羽藤由美 (京都工芸繊維大学名誉教授)
大津由紀雄 (慶應義塾大学名誉教授)

要望書は浜佳葉子教育長、山口香委員、秋山千枝子委員、北村友人委員、新井紀子委員、宮原京子委員に宛てたものです。

要望の内容は「私たちは以下の理由により、令和5年度の都立高校入学者選抜に中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)の結果を使用しないことを要望いたします」です。

その理由は以下の2点です。
1 不公平な入学者選抜が行われる可能性が高いこと
2 円滑な試験運営ができない可能性が高いこと

2022年10月19日(水曜日)午後1時から都庁記者クラブの記者会見場で記者会見を開き、上記5名が揃って会見しました。その模様は朝日新聞や産経新聞などの新聞や「報道ステーション」などのテレビ番組で紹介されました。ただ、紙幅や時間の制約もあり、こちらの意図が十分に伝わらないのではないかという懸念もありますので、要望書および記者会見でわたくしたちが訴えたかったことをできるだけわかりやすく解説しようと思います。


[2] 理由1 不公平な入学者選抜が行われる可能性が高いこと


ネット上の反応として「なかなかに複雑なテスト理論の話もあった会見でしたが」というのがあったことから窺えるように、かみ砕いた解説でも敬遠する向きがあるようなので、これだけは理解して欲しいという、話の「きも」を整理しておきましょう。

 1. ESAT-Jは本来、東京都の公立中学校3年生用の英語スピーキングテストとして位置づけられたものです。つまり、受験者は都内の公立中学校3年生です。
 2. その結果を都立高校の入試に流用しようというのが今回の事態です。
 3. しかし、都立高校の受験者は都内の公立中学校在籍者とは限りません。都外在住で都外の中学校に在籍する生徒もいますし、都内の国私立中学校に在籍、または都内在住で都外の国私立中学校に在籍する生徒 もいます。前者はESAT-Jの受験ができません。後者は受験も可能とされていますが、受験しない者も出てくるでしょう。これらの生徒たちはESAT-J不受験者となります。体調その他の理由でESAT-Jを受験でき ない生徒もいるでしょうが、不受験者というのはそうした生徒たちだけではないということをまずきちんと理解しましょう。
 4. ESAT-J不受験者が都立高校を受験しようとすると、ESAT-Jの結果が欠けていることになります。そこで、東京都はそうした場合、その欠損部を他の情報から推定しようというのです。
 5. 南風原朝和さんによる解説は推定された結果が正確な推定にならない、つまり、歪んでしまう可能性を指摘したものです。より具体的には、①推定結果となる「平均を計算するための同点者の人数が限られているため、平均が統計的に不安定になること」と、②「「統計的回帰」と呼ばれる原理によって、「仮のESAT-J結果」が、全体の平均の方向に偏る傾向があること」の2つの理由によって推定が不正確になるということです。詳細は具体例と共に南風原さんの「要望書についての説明のためのメモ」に書かれていますので、参照してください。
https://app.box.com/s/vgyxc6svsrnlmmwhvldkyxt8ssdqgl0c

 6. ここできちんと理解していただきたい点は以下の2点です。
 (あ)5で指摘した問題は今回の方法自体が抱える問題で、不受験者の数が多いとか、少ないとかという問題ではない。2022年10月20日付の朝日新聞デジタルの記事「都立高入試のスピーキング、研究者「不合理」都教委は「問題ない」」https://bit.ly/3gzSZqL(1:45p閲覧)は優れた記事ですが、不受験者の問題について、「けが・病気などでテストを受けなかった生徒が都立高を受験する場合」と書き出している点は少なくとも誤解を招きやすい。3に明記したように不受験者の存在はESAT-Jを入試に流用することによって必然的に生じる問題なのです。
 (い)「きちんと準備して、受験すれば、この問題とは関わらないで済む」というのは誤解です。合否の判定のもとになる成績順リストは不受験者のものも含めて作られるのですから、推定スコアによって不受験者がリストの上位に「割り込んで」きて、結果として、合格圏内にいた受験者が圏外にはじき出されてしまう可能性があるのです。不合理で、不公平です。
 7. 上記の朝日新聞デジタルの記事によると、「都教委は「(平均点を算出するための)サンプル数は十分あり、合理的な方法だ」と反論したそうですが、「サンプル数は十分あり、合理的な方法」であると主張する根拠を明確にし、要望書に記載したような不合理や不公平が生じないことを示す義務があります。



[3] 理由2 円滑な試験運営ができない可能性が高いこと


都教委は、スピーキングテストの実施を請け負う試験団体に、以下のことを求めています(出典は要望書に記載)。
1. 実施責任者、副責任者、試験監督、補助員、誘導員等、テストを公平・公正に実施するために必要な人員を配置する。
2. 受験者への説明やテストの進行管理、トラブル対応等のスキルを身に付けた試験監督者を配置する。

スピーキングテストに関して豊富な知識と経験を持つ羽藤由美さんはコンピュータ方式で行うスピーキングテストにはトラブルがつきものだと指摘します。実際、ベネッセが実施したプレテストの報告書には全部で23件のトラブルが生じ、そのうち、17件が監督者に関わるものだったと報告されています。そうであれば、予期せぬトラブルが起きた時、適切な対応ができる試験監督や補助監督が必要となります。上記①、②の重要性がよく理解できます。

一方、要望書に添えた別紙を見ていただくと、ESAT-Jの監督等の求人広告が載っています。日取り、勤務地、「ベネッセ」の記載などから、ESAT-J関連の業務であることが推測できますが、そこには、「経験不問」「1日限定空いた時間で稼げる」「シンプルワークで難しいコトはない」「履歴書の準備は必要ありません」「面接もありません」等、採用時の審査が甘いことを「売り」にするものもあります。①、②の条件を満たす監督等の求人とは思えません。

わたくしはこれらの求人広告を見たとき、この企業がESAT-Jと同日にESAT-Jとは別のスピーキングテストを行い、そのためのものではないかとすら考えました。仮にこの企業がESAT-Jについてこんな求人広告を立案したとしても都教委がそれを了承するはずはないと考えたからです。

しかし、その考えは甘すぎました。「別紙」2枚目の最初の求人広告をご覧ください。そこには「ベネッセスピーキングテスト(ESAT-J)」と明記されています。

ところで、ESAT-Jを「ベネッセスピーキングテスト」と呼ぶことに問題はないのでしょうか。都教委が英語スピーキングテストの導入を決めた当初は「中学校英語スピーキングテスト Supported by GTEC」という、なんとも奇妙な、しかし、今にして思えばある意味で誠実な名称が使われていました。その後、2021年3月になって、現在の「ESAT-J (English Speaking Achievement Test for Junior High School Students)」という名称を使うということになったのです。「都のグローバル人材育成施策のプラットホーム」であるTokyo Portal for International Educationには、「中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)」と表記してありますので、ESAT-Jの正式な日本名は「中学校英語スピーキングテスト」だと思われます。業務提携した企業がその企業名を堂々と使い、「ベネッセスピーキングテスト」と称するのは重大な問題です。法的問題が絡むのかはわたくしには判断できませんが、少なくとも企業が持つべき倫理観に照らして問題であると考えます。

記者会見をライブ配信で見たという方からメールをもらいました。その方は「別紙」に掲げられた求人広告の一つに応募したそうです。採用が決まり、「誓約書」の提出を求められ、そのなかに、広告にも書いてあった、令和4年度に、1親等以内、または同居人に東京都公立中学校に通う3年生がいないことを誓約するという旨の項目が入っていたそうです。求人広告にあるとおり、履歴書の提出もなければ、面接もなかったということです。

このような方法で採用された人たちに子どもたちの重要な試験の監督を任せてよいのでしょうか。試験監督はだれにでもできるというわけではありません。羽藤由美さんが記者会見の最後に言った一言「想定外のことをしかねない受験生を監督する人が想定外のことをしかねない状況」であるという指摘が言い得て妙です。

朝日新聞の取材に対し、都教委はこの点について「事業者が適切にスタッフを確保し、研修した上で実施する」と答えたそうです(朝日新聞デジタル、2022年10月20日7時配信)。返すことばもありません。

この問題はもう一つ重要な意味を持っています。都教委はこれまで採点者についてはフィリピンの採点センターの常勤スタッフで、ESAT-Jの専門の研修を受けた専門家であること以外、その詳細を明らかにしていません。1と2の厳しい条件を満たす監督等の募集を上に述べたずさんとしか言いようのない方法で行う企業であれば、採点者の募集や研修にあたっても同じようなずさんな方法が採られているのではないかという不安を生徒たち、保護者たち、教師たち、そして、わたくしたちに抱かせます。

もっとも、今回の採点者はこの企業が開発したGTECのスピーキングテストの採点者と同じ人たちであるに違いないという見解をお持ちの方もいます。その場合、別の、しかし、より深刻な問題が潜んでいることになります。



[4] 都教委と都知事の反応


「時事通信ニュース」https://sp.m.jiji.com/article/show/2832851、2022年10月20日11:23p閲覧によると、「都教委幹部は「長期にわたりテストを周知してきた。中止となれば対策を頑張っている生徒への影響は甚大」と、予定通りの実施を強調。小池氏は「スピーキングが日本の場合、非常に弱い。世界でチャンスをつかむため、話すという基本的な力が必要だ」と理解を求める」とのことです。

都教委は以前から、これまでもESAT-Jについて、「長期にわたりテストを周知してきた」と語っています。しかし、この点については都内公立中学校や都立高校の先生たちからそれは事実に反するというメールをもらっています。実際、昨年12月にESAT-Jの実施に反対する集会を開いた時点では、ESAT-Jについて知らないという都内公立中学校の校長先生(複数)もおいででした。

また、都教委はESAT-Jについて丁寧に説明してきたとも言っています。確かに、同趣旨の説明は何度も繰り返されてきましたが、さまざまな質問に対して、相手に理解できるように、必要なことは包み隠さず、説明をする努力をしてきたとは言えません。中身が分からない部分が多すぎるのです。

「中止となれば対策を頑張っている生徒への影響は甚大」という点ですが、その責めを負うべきはわたくしたちではなく、都教育庁、および、都教委と協定を結び事業を共同実施している民間試験団体です。ESAT-J実施日までひと月になろうとする現在も、試験監督の確保もおぼつかず、しかも、目を疑うような募集方法をとっている現実を見ていただきたい。

最後に、小池百合子都知事の「スピーキングが日本の場合、非常に弱い。世界でチャンスをつかむため、話すという基本的な力が必要だ」という発言は今回の問題とは無関係です。「日本人の英語を話す力が非常に弱い」、「世界でチャンスをつかむために英語を話すという基本的な力が必要だ」という認識を仮に認めるとしても、「だから、ESAT-Jの入試利用は必要だ」ということにはなりません。

にもかかわらず、この小池発言は一見もっともそうに聞こえます。「話せぬ弱み」とでも言えばよいのでしょうか、なんとか英語を話せるようになりたい、子どもには英語を話せる力をつけてやりたい、そんな気持ちが英語スピーキングテストへの惚れこみに繋がっているように思えます。



[5] おわりに


じつは、今回の問題、氷山の一角に過ぎません。東京都英語教育戦略会議と称する会議に端を発する、さまざまな英語教育政策が立案、施行されています。ESAT-Jもその一環です。まずは目前に迫った問題として、ESAT-Jに集中する必要がありますが、それで問題が終わるというわけではありません。

【付記】
[2] については南風原朝和さんに草稿を読んでいただき、加筆修正をしていただきました。ありがとうございました。ただし、文責は大津にあることを明記しておきます。
【再付記】
ESAT-Jを「ベネッセスピーキングテスト」と呼ぶことについて、当初は「違和感を覚える」という表現に留めていましたが、とや英津子都議から「これは違和感の問題ですむことなのか」という問題提起を受けました。たしかにとやさんのおっしゃるとおりです。そこで、新たな段落を作り、加筆修正しました。

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