私はこの“Your Own Future”を読んで、一番はじめのアロマゴミ捨て場の話が最も心に残りました。

 私はこれまで小・中・高校で調べ学習やスピーチ、MCなど様々な場で発展途上国やフェアトレード、ストリートチルドレンなどという問題を調べました。私たち先進国の人間はもっと、今ある現状に感謝しなくてはなりません。勉強することができる環境に対してもです。私たちは普だん、感謝するどころか、「勉強キラーイ」だの、「課題くそー」だの、「まじ遊びたいー」といった非常に低レベルな会話をしています。確かにこの学校は課題やテストがとても多く、誰もがゆううつになります。その中でもし、考え方を変えられたならどんなに良いでしょう。なりたいもの、目指したいものをいつでも選べること。学べること。何に対してもまず選択肢があることは素敵なことです。私たちは不幸な環境の彼らとは違い、限りなく広い未来があります。

この前大学のオープンキャンパスへ行き、私は自分の夢にこの学部は合っていないのではないか。そもそもそんなに大きな夢、なれるわけないのだから持つだけあほらしい。などとても悩んでいました。でもこの発展途上国の子供たちを思い出し、今ある幸せを改めて感じました。

 私は将来、どんな形であれ発展途上国を支援するような職に就きたいです。エネルギーや環境問題に取り組んだり、ただのボランティアになるのかは全く分かりませんが、いつか私も、彼らの役に立ちたいです。

 この思いを大人になってもずっと忘れないでいようと思います。


 自分が最も印象に残った章は,第一章の,「アロマのゴミの稼ぎで暮らす子どもたち」である。それが最も印象に残った理由は二つある。まず一つめに,私は今朝,テレビで,ミニマリストという言葉をきいていたからだ。物であふれている現在,若者たちは,物が無いことに豊かさを覚え,何も持たず暮らす人が増えていて,その人達をミニマリストと呼ぶそうである。この章を読み,やはり心の豊かさにつながっているものは,物の多さなどではなく,生き方や心のもち方にあるのだと考えなおした。我々は必要でないものまでを大量生産の社会の中で手にしていて,それらに囲まれているうちに物をもつことに麻痺し,そして,何度自らの物欲にこたえても,満足することはない,そんな状況の中にいる。しかし,アロマの人々のように,何もない状況から必死に何かをみつけだし,その日を生きようとする姿勢には,現代の先進国の人々から失われてしまった真の生きがいがあるようなきがするのである。二つ目として,アロマの子供たちは学問をすることを楽しく思い,興味をもっているということが印象に残ったからだ。第八章にも似た部分がある。本来学問は興味深く,楽しいものであり,古の人々が自ら学問という分野をきりひらいたのである。しかし我々は,親の代からの豊かさの中で育つうちに,豊かさが当たり前となり,今の状態を容易に保つことができるような気がして,学問する意義を見つけられずにいる。高度経済成長期を支えた人々の子供時代とは大違いであり,学問により豊かさを得ようとしてきた先人の思いは伝わってこない,そう感じる。この様な状況の世界の中で私達は,学びたくても学べないような世界中の人々に目を向けて,生きる楽しさを分かちあうたびに行動を起こすことができるように,あらゆることを勉強し,実践していかなければならないのだ。貧困国の子,先進国の子,それぞれに出来ることがあり,それに集中すべきだと思う。

 僕が最も印象に残ったのは、第3章のデンマークの民主主義について書かれた章だ。日本の欠点と言える「全国民の政治参加」がこの国ではなされているのではないだろうか、このような民主主義形態もあるのかと驚いた。

 まず第一に特筆すべきだと思ったのは、政党それぞれが若者のための議席を用意せねばならないということだ。日本人の僕からすれば、政治とは人生経験豊富な大人がするものであり、若者に対して身近なものであるとは言い難い。文章の中で例としてあげられるヨハンネ女史を筆頭に、このような方々の存在は常に議会に新しい視点を与え、またデンマークの若者が政治に興味をもつ一つの契機となるのではないだろうか。

 また、高齢者の意見を取り入れるための制度も同様に日本が見習わなければならない点であると思う。地方自治体が高齢者のためのサービスや制度を決める際、その地区に住人でいる高齢者の代表で構成された委員会に意見を求めなければならないのだ。高齢者の要望は高齢者が最もよくわかっているので、このプロセスは非常に合理的だと思う。

 以上2つの例より、デンマークが若者から高齢者まで全ての人間が政治に関わるように考えていることがわかる。

 そして最大の特徴は、デンマークの国民は政治家と対等であり、デンマーク政府は国民の声を聞くことを重視している点だろう。文章で挙げられた例に原発開発がある。国民の意見を尊重して原発を建設しなかったのだ。このように市民の意見を「コンセンサス会議」という形で政治に介入させるデンマークの姿勢は民主主義の極致であると僕は思う。

 この文章を読んで、僕はデンマークと比較することで日本の政治の問題点を認識できたと思う。つまり、政治に参加する年代が狭く、また国民の意見を少し軽視しているのではないかということだ。これから日本の政治が変革され、民主政治が完成されると信じている。


 私が最も印象に残った章は,土方巽さんの「舞踏」についてのチャプターである。この章で学んだことは大きく分けて二つある。

 まず一つ目は,どんな逆境においても,その状況を前向きに捉えることがいかに大切かということである。私は腰椎を部活中に損傷し,コルセットをしながらの部活をしている。病院で多分治らないだろうと言われた日は,どうしたらよいか分からずに,ずっと後悔していたことを覚えている。しかし,同じような病気を持ちながら部活動を続け,優秀な成績を残している人たちのことを知り,自分もとポジティブに考えるようにした。腰をかばうために,腹筋・背筋を鍛えられるのではという逆転の発想ができ,精神的安定につなげられたと思う。土方さんのように,重要な局面で怪我などの思わぬ事態が起こったときに気持ちをどう持つかでこれほど違う考え方ができるのか,と驚いた。これは頭の片隅にぜひ置いておきたいと思った。

 そして次に,アイデンティティーを認めるということの難しさだ。この章を読み終えたとき,確かに特色ある個性を持つ人々は人によく思われないという風潮があるなと感じた。今の世の中が画一化による効率を重視するあまり,人間関係の構築を特色あるものにする個性をおざなりにしてきてしまったのではないだろうか。これから大学・職場でも相手の個性や性格を理解し,尊重していくことで円滑な人付き合いをしていきたいと思う。

 自らの手で新しいダンスのスタイルである「舞踏」を作り上げた土方さんの言葉はとても重みがある。勉強としてでなく,人生論としてもこの文章は私にとって有益なものであったと考える。この文章から学んだことを少しでも生かしていこうと思う。


 個人的には,チャプター8の「喜びに満ちた学び」がとても印象に残っている。

 正直,自分は勉強がとてもきらいだ。苦手ではあるけれど,それ以前に「勉強したい」という気持ちにならない。

 思い返してみると昔からそういうわけではなかった気がする。それこそ小学校低学年時代は自ら進んで勉強をしていたように思う。毎日毎日くり返される授業で国語では新しく先生が紹介する漢字にワクワクしていた。算数では,初めて解く問題を見ると失敗など知らないというように挑んでいた。新たに知る世界に心踊らない時はなかった。

 しかし中学へ進学し,だんだんと周りと比べられるようになった。より良い点数,より良い順位をとれと言われるようになった。いつのまにか,自分にとっての勉強が「新しい知の世界を知る」ことから「点数を取るため,より良い順位をとるため」に変わっていったのだ。

 そして今,高校生となり,大学受験を視野に入れはじめ,より一層その感覚は強くなってきている。

 正直,このチャプター8に取り組むまで昔の自分の勉強なんてすっかり忘れてしまっていた。周りに認められようと必死で,勉強を楽しむなんてことは頭のスミにも置いていなかった。

 しかしこの文章を読んで,改めて「勉強は楽しいものだ」と教えられた気がする。単に点数や順位だけが勉強することのすべてではないと,思わず悟らされた。

 これから定期テストや模試が増え,大学受験という大きな節目へ向かっていくと思うが,ここで学んだ,「勉強」についてを忘れずに受験勉強も楽しんでいこうと思う。


(1) 2 »