Chapter 1

イカさん 新潟県

 私が特に印象に残った章は第1章だ。フィリピンのゴミ捨て場で生きる人々の話だった。
 彼らは大量のゴミ山の中から必死になって少しでも価値のあるものを探す。金属やガラス、プラスチックなどの素材は微々たるペソに変わる。そのような生活をしている人々の支援のため、筆者はアロマと呼ばれる地域を訪れた。彼らはひどい衛生状況の中で生きており、病気になったら回復の見込みはまず無い。筆者は学校へ通えないアロマの子供たちと知り合い、絵本を読んだり言葉を教えたりと交流を深めていった。
 私が特に心に残った場面は、アロマの子供たちが将来に対する希望を持ち続けている、という所だ。彼らは勉強することで将来、家族を幸せにしたいと語った。その内容を読み、私は「このような考えを持つ子供たちが日本にはどれほどいるのだろうか。」と考えた。ゴミ捨て場で過ごす彼らと何不自由無く生活のできる私達、普通はほとんどの人が私達の方が幸せだと思うだろう。しかし、社会の子供たちを見るたび、私は不安になってしまう。将来の夢や希望を持てず、ただただ過ぎる日々を恐いと感じることがある。このまま大人になってしまうのだろうか、と。
 それに比べて、アロマの子供たちは目を輝かせて筆者に勉強を教えてもらう。勉強をできることが当たり前となっている私達が忘れてしまう感情だろう。

 

 当たり前の生活がどれほど幸せで恵まれているのか、かみしめて私達は生きていく必要があるのではないだろうか。

 

東八早奈子さん 新潟県

 自分が最も印象に残ったのは、1章のアロマのゴミの稼ぎで暮らす子どもたちです。
 アロマの子どもたちの「勉強することは大好き!英語を学びたい、そして家族を幸せにしたい!」という言葉に強く心を打たれました。自分は勉強というのは有意義なことで面白い物であるということは分かっています。しかし、今の日本にはゲームや漫画など楽しい、面白い娯楽がたくさんあります。どうしてもそれのやりたさのために自分は勉強をおろそかにしてしまう傾向があります。アロマの子どもたちはなぜ勉強は大好きなのか?私は大人とともにゴミを拾って働くアロマの子どもたちにとって勉強は最高の娯楽なのであると考えました。本文中の中でアロマの子どもたちは、絵本を見て食べ物や動物の絵を指して、英語や日本語でどうやって言うのかを尋ねています。この文を読んで私は、絵本の絵を他の言語で知るということはゲームみたいで面白いなと思いました。
 私はアロマの子どもたちを知って、勉強は自らの好奇心を満たすことのできる楽しい学びであると気づくことができました。思いおこしてみると、知りたいと思っていることはたくさんありました。なぜ人間は水に浮かぶのか?なぜ月は欠けるのか?これらはすべてこれまで習ってきた理科で解決することができました。たしかに、理科でこれらの単元をやっている時は楽しく、自分が生き生きしていたように感じます。この話を読んで、勉強の面白さや楽しさを忘れてしまっていたなあと思いました。公式や文法を覚えることは本来の勉強ではない、そこにかくれている本当に自分がやりたいこと、知りたいことに気づくことが大切であり、そのために知識を増やしていくことが学びであるのだと考えさせられました。アロマの子どもたちのように、楽しく学び、自分自身を向上させるという志を持って学校生活を送っていきたいです。

 

チロさん 新潟県

 私が最も印象に残った章は、第一章の「アロマのゴミからの稼ぎで暮らす子ども達」です。世界にこのような生活をしている人がいることと、彼らの幸福観について知って、衝撃を受けました。
 私はまず、写真を見て目を疑いました。子どもたちはごみを漁っていて、道はお世辞にもきれいだとは言えず…。ここが、人が暮らしている場所なの?と信じることができませんでした。
 文章を読んでいて、強く感じたことは、まず第一に、安全な環境にしていくべきだということです。病院で使用済みの医療器具は、病院や国が責任をもって始末しなくてはいけないと思います。病院は、来院した人のためだけにあるのではありません。たとえお金がなくても、人間一人一人の価値は同等だから、地域全体として、全員が健康でいられるような最低限のことはするべきです。
 また、子どもたちのことで特に心に響いたことは、誰もが家族想いだということです。子どもたちは、学校へ行かずに、昼間もごみ捨て場からお金になるものを探しています。しかし、著者が本を出したら目を輝かせたように、学ぶことは好きで、学びたくても思うように学べない人がたくさんいるのだなと思いました。
 そこで私は、周辺国が手をとり合って、彼らのお手伝いをするのはどうかと考えました。生きる知恵を知り、学ぶ機会を増やすことで、親から子へつながっていたゴミ捨て場での暮らしにも終わりを告げられるのではないかと思います。
 私たちはつい、自分たちの暮らしと比較して意見を考えがちですが、生きることへの価値観は人それぞれだと思いました。個性を尊重しつつも、困ったときはお互い様の精神で、これからも暮らしていきたいと思います。そしてアロマの子どもたちが安全な日々を送れるようになることを願います。

 

ししょーさん 新潟県

 私が最も印象に残った章は1章です。このお話は主にフィリピンのマニラ郊外で暮らす人たちを詳しく説明していました。彼らは、ごみの中から価値のあるものを探し、それを売り、収入にするといった日本では考えられないような暮らしをしているそうです。私は実際に世界ではフィリピンだけでなくともこのような生活に苦しむ人たちがたくさんいるというのは前から分かっていましたが、こんなにもひどいとは思ってもいませんでした。
 まず私が1番に衝撃をうけたのが、1章の写真です。あたりを見わたす限りごみばかりです。人の歩く道ですら今にもごみでおおいかぶされるような感じです。筆者は、実際そこへ行くと想像よりもずっと苦しめるにおいがする、こんなにおい一度もかいだことがないとにおいがすごいことを書かれています。この写真から分かるように本当にすごいにおいなんだなと衝撃でした。また、そんなところで暮らしている子どもたちが笑顔ですごしているということも驚きでした。学校に通う余裕などなく、1日3食食べられるかという中での生活でどうして笑顔ですごすことができるのかとても不思議でした。しかし全て筆者の文を読んでみて、よく分かりました。「目標」というのは人の現在から未来までを明るく、生き生きとさせることができることです。私にもたくさんの目標があります。その目標に少しずつでもいいから努力していきたいとあらためて思うことができました。私たちがいる日本は他の国と比べても恵まれている環境にあると思います。自分の家があって、おいしいものを食べることができて、勉強することだってできる。そんな日常のようなことを1つ1つ大切にして生活していきたいと思います。そして、日々私を見守ってくれる両親への感謝も忘れないでしていきたいです。
 すべての章がとてもいい話で、この夏休みの間、社会についての視野を広げることができました。

 

メガロドンさん 新潟県

 私が最も印象に残った章は、第1章のアロマでの厳しい生活環境の話だ。私がこの話を選んだ理由は2つある。
 1つ目は自分の知らないところで、厳しい環境の中で生活している人々が大勢いるということを改めて知ることができたからだ。この話は、フィリピンのマニラ郊外にあるトンドという地球のゴミ捨て場の一つのアロマと呼ばれる地区で20000万人近くの人々が厳しい生活環境と向き合っているという話だ。彼らがこのゴミ捨て場に住む理由は、ゴミこそが彼らの収入源であるからだ。毎日私たちが出しているゴミが、彼らの生活に大きく変わっているとは思いもしなかった。毎日アロマに住む人々は、たとえわずかでも価値があるものを見つけようとして、ゴミをあさる。しかし、見つかるのは運次第。生活はとても不安定。小さな子どもまでもが働かなければならない状況に陥っている。それでも彼らはこのゴミ捨て場を家と呼び、生き生きとしている。そんな彼らのたくましさに負けていられないと、こんな小さなことで気を落としてはいけないと自分に言い聞かせるようになった。
 2つ目は、自分がどれほど幸せに生きてこれたのかということを実感できたからだ。アロマに住む子どもたちは学校に行っていない。勉強したくてもできない環境下にいる。私は正直勉強は好きではない。それでも毎日ゴミをあさる子どもたちからすれば、なんて幸せな毎日を過ごせているのだろうと感謝しなければならないと思う。
 このような厳しい生活をしている人々を助けられないだろうかと今、私たちができることを考えていかなければならないと思う。そして、日々の幸せに感謝をして、大切に過ごすということを忘れないようにしたい。

 

坂牧尊さん 新潟県

 自分が一番印象に残った話は、フィリピンのごみ捨て場で暮らす子供たちの話です。自分達とほとんど変わらない年齢の子供達がごみと病気がありふれた場所で生きているという事実を知って驚きました。自分たちはあたりまえのように家があり、あたりまえのように食べ物を与えてもらい生きていますが、それが如何に幸せであるのかを改めて感じると同時にフィリピンの子供達が可哀そうだと思いました。
 この文章を読んだ時に自分は、自分にとっての幸せについて考えました。勉強は嫌いだし、毎日学校に行って授業を受けなければいけない自分の生活はどんなに頑張っても幸せには感じられないと思いましたが、フィリピンで暮らす子供たちは、自分より不便で危険な世界を笑顔で生きています。それを知り、始めは不思議でした。しかしすぐにわかりました。彼らが笑顔でいられるのは、自分達のあたりまえと彼らのあたりまえでは大きな違いがあるからだと。幸せとは人によって変わるものだと思いますが、彼らの生き方をみると自分が悩んでいることがとても小さく、くだらないことに感じました。きっと彼ら自身自分達が不幸であると考えたことはないと思います。

 彼らの生き方から、人の人生は考え方によってよくも悪くもなるのだということを学びました。フィリピンの子供たちがごみ捨て場で暮らしているというのは、大きな問題だと思います。もちろん早急に解決できるならするべきである恐ろしい話だと思います。しかしこの問題と同じくらい怖いのは、時がたち人間の生活がよりよくなるにつれて人々のあたりまえのレベルが上がりつづけていることだと思います。一度自分達がどんな生活をしていて、どんなところに幸せを感じていたのかを思い出さなければ、今あるフィリピンにいる子供たちのような人との格差はいつまでたっても埋まらないと思います。

 

小山菜々美さん 新潟県

 私がこの本で最も印象に残った章は、第一章のゴミ捨て場で暮らす人々の話でした。
 はじめに、私は彼らの生活している環境の悪さに圧倒されました。ひどい臭気やゴミの山、さらに注射器などの危険な物もたくさんあり、感染症にかかるリスクが非常に高く、しかもそれを治すため病院へ行くお金はない。想像しただけで恐ろしい生活だと思いました。
 もし私がそこの子どもなら、きっとこの生活に耐えることができないでしょう。しかし、実際にそこに住んでいる子どもたちは、とてもいきいきしていると知って驚きました。彼らは学校にほとんど行けず、食べるために働きづめで、しかしその収入は少なく、十分に食べられることはめったにない。また、病気にかかってしまえばほぼ死ぬことが確定する。そんな生活でも、それは彼ら自身の家であり、人生なのだ。彼らは、楽しく精いっぱい生きている。なんて強く、たくましいのだろうと私は思いました。
 また、彼らは学ぶことに非常に意欲的だということにも驚きました。彼らは学ぶことを好きで、それが彼らの家庭を助けることができると知っている。経済的に、学校に十分に行けていないにもかかわらず。
 私は勉強が好きではない。おそらく、この国に住む同じ年ごろの人はみんなそうだろう。この章を読んで私は、自分が、いかに恵まれているのか思い知らされました。食べ物も教育も、十分に受けることができる。しかし、私を含め日本人は、そういったことを忘れて勉強を苦痛だと思ったり、人生が幸せでないと感じたりする傾向があります。アロマの子ども達は、物質的に恵まれていないが、彼ら自身の幸せをみんなが見つけて、幸せとは何かもう一度よく考えてみてはどうだろうか。そして、勉強する意義を見出し、恵まれた環境に生きていることに感謝することが、よりよく生きることにつながるのではないだろうか。

 

cocoさん 新潟県

 今私がおいしく食事をしているとき、同じ時間をゴミと戦いながら苦しく生活している人々がいる。我々の想像をはるかに越える悪臭と、多くの病原菌、いつなにが起きるかわからない不安定な生活と戦っている人々がいる。彼らついて私たちのように物質的に恵まれた人は考えたり思いやったりしたことはあるのだろうか。私はThe Children Living Off Garbage in Aromaを読んで2つの事を感じた。
 まず、世界のこのような現状に目を向けることができている人が少ないのではないかということ。実際、生計を立てることが困難な人が世界中にはたくさんいる。そのことは、きっと多くの人が知っていると思う。しかし、その事実に目をそむけてしまう人も多いのではないだろうか。実際に現地に行くことができれば最も良いが、それが難しい人もいる。だとすれば、現状や歴史について学び、改善策を考えることくらいはできるだろう。私は今回の文章を読んで、フィリピンについて調べた。経済発展が著しい一方、社会の底辺にあたる貧困層が多い。ごみ廃棄場は20年前に閉鎖されたが、いまだごみ山に暮らす人々がいるという社会構造は変わっていない。調べないとわからないこと、調べたことで新たに感じられること、この小さな小さな行動がやがて輝く未来への大きな橋になると思う。
 次に、幸せの意味とはなにかということ。人それぞれに違う幸せのかたちがあり、それは他人には分からない。だから、トンド地域に住む人たちを不幸だと一口に言うのはよくない。彼らに寄り添い、現状を知る。そして私たちの幸せと彼らの幸せの言葉の重みの違いを感じられるだろう。
私は将来、世界規模で人の役に立ちたいと思っている。だから、今回の文章を読んでどれだけ自分が無知で具体性のない人間ということを感じた。世界を見わたして、現状に目を向けられる人に私はなりたい。


ぼじさん 新潟県

 私は第一章の印象が強く残っています。自分は最近、勉強することにあたって、とても憂うつな気持ちになってしまいます。しかしこの章を読んで自分はとても幸せ者なんだと知りました。ゴミ捨て場に住む子供たちは前向きな気持ちを持って具体的な夢を持っていることに大きなあこがれを抱きました。
 本文中に作者が子供たちに「勉強するのは好き?」と問うシーンがありました。そこで子供たちは「勉強することは大好き!英語を学びたい、そして家族を幸せにしたい!」と答えていました。私はそこを読んだときにそんなことを答えられるなんてすばらしいと思いました。自分のことばかり考えてしまうのはこれからやめてこの子たちのように自分のこと以上に家族のことなども考えていくようにしたいです。また、不幸なことに伝染病などにかかっても治してくれるお医者さんがいないのでほとんどの人が亡くなってしまうとありました。こんなにすばらしい子たちが死んでしまうのはとても悲しいので、どうにかして生きられる、生きやすい環境づくりができないかなと思います。具体的に日本がこの国に何か支援ができないかなと思っています。例えば、ボランティア活動などを通して服や長持ちするような食品などを分けてあげたらなと思いました。そして自分がどれだけ今、幸せな状況にいるのかというのが強く思い知らされました。自分もこれから家族に貢献してあげたいです。具体的には、勉強していくのはもちろん当然ですが、例えば料理を作ったり洗たくをしたり、自分にもできることがたくさんあると思います。そういうことを一つ一つ自分の力でやっていって家族を支えることで自分もフィリピンの子供たちのように強い志を持ってカッコイイ生き方ができるのではないでしょうか。
 この作品は自分を見つめ直すこともできるし、自分の目標を設定することもできます。ぜひこのすばらしい作品をたくさんの人に読んでもらいたいです。


エジマさん 新潟県

 幸せな生き方とは何なのだろうか。
 「アロマのゴミの稼ぎで暮らす子供たち」では、悪臭を放つゴミの山の中でゴミを拾って収入を得るという、日本では信じられない生活を送る人々について記されていた。文の前半を読んで、恵まれた環境に生まれた私は彼らよりも幸せであると感じた。しかし、彼らは劣悪な環境下にも関わらず生き生きとしていると、筆者は言うのだ。毎日が退屈に感じられる私よりも、彼らの方が幸せなのかもしれないとも感じた。私は、何が幸せなのか分からなくなってしまった。
 しかし、考えていくうちに私は思った。何を幸せと見なすか決める必要があるのかと。私は自分とアロマの人々のどちらが幸せなのかを考えていたが、自分自身が今幸せと感じられているならば、それで良いはずなのだ。普遍的な幸せを定義づける必要はどこにもない。不幸についても同じだ。時々、「世界にはあなたよりも恵まれていない不幸な人がたくさんいるのだから、そんなことで苦しんではいけない」と言う人がいるが、なぜ自分の悩みを否定されなければいけないのだろうか。心に負担があるのは事実なのに、なぜ「あなたは幸せだ」と決めつけられなければいけないのだろうか。
 これから私は、他人と自分とを比べないことで幸せに生きることができると考えた。日本は、幸福度が低く自殺者の多い国として有名になってしまっているが、他人と自分を比べてしまうという日本人の特性が、その原因の1つとなっていると私は考える。もし比べなければ、自分自身の本当の価値や本当の幸せを見出すことができ、より良い人生を送ることができるはずだ。
私は、他人に流されることなく、自分自身を見つめ直して自分なりの幸せややりたいことを見つけ出し、アロマの人々のような生き生きとした生活を送りたい。


ヒロタさん 新潟県

 幸せ、とは何だろうか。普段私たちが想像する「幸せ」とは、美味しいものを食べたり欲しい物が手に入ったりと、自らの希望が叶う、主に物質的な豊かさが得られた時であることが多い気がする。そもそも日常の中で私たちが幸福について考えることは稀であるが、現に幸福だから幸福について考えないのか。
 本書の第一章ではフィリピンのゴミ捨て場の過酷な状態の悲惨さ、そんな環境に生きる子どもたちの様子が紹介されている。私が最も印象深かったのは、その子どもたちが、日々の生活もままならない中、希望を持って生き生きと暮らしているということだ。現在私たちの生活には物があふれていて、不便のない日々を送っている。もし自分がフィリピンのこの子どもたちの生きる環境にいなければならなくなった時、生き生きと生活していけるだろうか。また子どもたちは学ぶことを愛し、学ぶことで家族を養うことまで考えている。自分よりも幼いであろう子どもたちが、学びたくても学べない、安定した食事も家もない状況に置かれながらも家族を想い、養いたいと言う姿に、本当の幸せとは何かを考えさせられた。また同時に、学ぶということが許された環境下にいられることが当たり前ではないことを思い知らされた。
 この第1章を読んで、本当の幸せとは何なのか、はっきりした答が自分の中で出ることはなかったが、子どもたちのように大切に想う家族が、友人が私の周りにいること、そして自分は今、学びたいことが自由に学べる環境にいることは、私にとっての「幸せ」なのだろうと思った。2008年に全米科学財団が発表した世界幸福度調査によると、麻薬組織や誘拐の多発するコロンビアが3位なのに対して、経済が発展し貧困や政情不安とはほとんど無縁の日本は43位であるそうだ。私たちは精神的豊かさを追求し、「生き生き」と暮らせるよう、もう一度本当の幸福について考えなければならない。